「地元」からみる東京G-LINEの可能性

東京G-LINEを読んで連想した物語 

 重松(敬称略でよいよね?)の思い描く東京G-LINEがグローバル都市・TOKYOの立て直しとするならば、私の思い描く東京G-LINEは首都・東京が「地元」を救う仕掛けであってほしい。
 そして、二つは補完しあうことができるのではないか、という仮説を立てている。
 そんなわけで、まずは、こちらを読んだうえで次に進んでいただきたい。
 https://inspiring-dots.hatenablog.com/entry/2018/07/31/144212

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重松氏による東京G-LINEのイメージ

 重松は、次のようなイメージを描いている。
「公園に直接アクセスできる贅沢な住宅やオフィスが新しい東京のライフスタイルのトレンドとして世間に話題となり、お洒落なカフェやレストラン、バーなどがバランスよく立ち並ぶ。商業化しすぎないように程よく規制が掛けられるが、同時に様々な交流イベントがひっきりなしに開催され、大人から子どもまで常に賑わいの絶えない場所になる。*1)」
 うん。そうあってほしいし、そうなれば素敵だ。賛同するし、そのための演出として「地元」は価値を持っている。
 ただし、ここでいう「地元」は、臨海副都市で計画された「世界回廊」のように各地の街並みを再現する*2)、というセンスとは大きく異なっていることは強調したい。ここで論じたいのは、14.1kmの回廊を皆で、創り上げ、育てていけない、という視点だ。
 
 提案は、
 「14.1kmの回廊を47都道府県ごとにで300mほどに分け、それぞれ「地元」の価値を提供し、その蓄積を元手に「地元」に事業展開するような仕組みはできないか?」
というものだ。
 
 少し具体的にはこんなことを頭に浮かべている。
 
 「今日は、A市の担当者と霞が関で研究打ち合わせだ。常磐線で東京につき、神田橋ジャンクションから東京G-LINEに入る。
 西銀座ジャンクションの途中に「茨城」回廊がある。名産の干し芋をテーマにしたカフェで、打ち合わせ資料を作成する。原稿料などの副収入を使い、クラウドファンディングしているので、店長とも顔なじみだ。店長は、最近、東南アジアからのお客さんが増えているので、ハラールを前面に出したいと考えており、東京G-LINEのプラットフォームで知恵を集めているそうだ。
 将来的には、ここで蓄えて資金とネットワークをもとに地元で農ある街をつくるという野心も持っており、上京した「地元」の人の憩いの場となるよう空間づくりに力を入れている。コーヒーチェーンよりも割高だが、フェアトレードの商品と同じように価値をもつ人は増えてきている。
 西銀座ジャンクションまでは、気持ちの良い広場でくつろぐ東京に住む家族を眺める。東京G-LINEを出て、日比谷公園を抜け、打ち合わせに入る。既存のストックとの連携も新しい価値となる。打ち合わせは、とどこりなく終わり、食事に出る。
 A市の担当者の地元「いろは」回廊の贔屓のお店を予約している。今日は、A市出身者がクラウドファンディングで集めたアートイベントが行われるらしい。ストリーミングで見たことはあったが、実際に見るのは初めてなので、楽しみだ。東京G-LINEでのイベント収入の仕組みは、日本のパフォーマー・アーティストの質と量を飛躍的に高めてきている。歌舞伎の投げ銭感覚で、贔屓のパフォーマー・アーティストを育てる仕組みは、アイドル商法のビジネスモデルを建設的に発展させたものだ。東京G-LINEのプラットフォームは、儲けたお金が、しっかり「地元」に還元されていることを発信しているので、お金の出しがいがある。イベントを見ながらA市の特産物を堪能しつつ、まちづくりを語る。
 新橋まで歩き、常磐線で帰る。東京G-LINEのプラットフォームの特典で、今夜はグリーン車でゆったりと帰れる。」
 
 こうした連想をしたのは、東京G-LINEのFB投稿にコメントしたとき、重松が参勤交代に例えた表現をしているのを見て、やはりグローバル都市・TOKYOを思い浮かべているのだな、と感じたからだ。当時、地方は、国許でためた財力を江戸で使い勢力が抑えられた。江戸の文化は栄えたとしても、地方の国力は衰えていただろうと思う。少なくとも幕府がそれを意図した、と教科書では教えている。しかし、そんな中でも江戸時代の文化が花開いたのは、やはり地方のコンテンツがあったからで、その国力が維持されていることが大前提であったと思う。
 一方、グローバル社会の中でそれを行うと完全なスポイルが起きてしまうだろうと危惧している。なのでそれを補完することを検討しておくことが極めて重要だと思う。そのためのテクノロジーはそろっているし、ふるさと納税などの実績もあるので、こんな主張をしているわけだ。 
 
 まとめると、TOKYOへの上納を必要とせず、集客密度が圧倒的に高い東京G-LINEで得た資金と知恵で「地元」を盛り上げる、新しい富の再配分モデルを実現したい。そのためには、ある程度連続した空間と大胆な既存規制の緩和によるチャレンジ環境を整える必要がある。そのためには、東京G-LINEのような構想が不可欠に思う。
 
グローバル都市・TOKYOをサステイナビリティの視点から大局的にみる
 ここで、私の研究テーマである持続可能性(サステイナビリティ)の観点から、グローバル都市・TOKYOを整理しておく。
 すごく大雑把に言うと、経済一辺倒ではなく、人間/社会・環境を配慮した社会づくりを目指すのが、持続可能性(サステイナビリティ)の本流だ。その意味でTOKYOを経済都市から人間都市へ変えようという主張はそれに合致する。そして、おそらくそのことで経済をさらに活性化する流れを生み出せる。
 
 アメリカを中心に展開された都市論の系譜もそれを支持している。
 ルイス・マンフォード、ウィリアム・モリスらの都市計画に一石を投じたジェイン・ジェイコブズの都市論*3)。サキスア・サッセン*4)が提示した管理主義的なグローバル都市のイメージの見方を変えたリチャード・フロリダのクリエイティブ都市論*5)。前者が経済に重きを置いた都市論であり、後者が特に、そこで働き、暮らす人間/社会に配慮した都市論だといえる。
 アメリカだと大都市でいうニューヨーク、小規模だとポートランドなどがその先陣なのだと推測する。フロリダは、科学、エンジニアリング、建築、デザイン、教育、芸術、音楽、娯楽にかかわる人々をクリエイティブ・クラスと定義している。彼らのクリエイティビティを高め新しい発想、新しい技術、新しい作品を作り上げることが肝心だと主張する。そして、都市は、開放性、多様性、受容性を確保することで彼らにとって魅力的であることで、企業をも引き付ける。グローバルな航空ネットワークへのアクセスが欠かせないが、年齢や国籍にかかわらず皆が安全で、安心して、健康で、「楽しく」暮らせる都市が好まれる。
 
 そんな中、TOKYOは、世界のクリエイティブ・クラスにとって魅力があるのか?確かに疑問である。
 
 実はこの疑問は、私が梅澤研で卒研(2002年)で取り組んだときに気付いていた課題なので思い入れがある。当時の問題意識は、経済の舞台としてのTOKYOへの危機感だった。上海が浦東を開発し、ソウルが仁川に大きなターミナルを作り始めていた。Dellがグローバル・サプライチェーンを構築していた。日韓ワールドカップで楽しい毎日であったが、「東京が都市間競争で出遅れている」との言葉をぼんやりと聞きながら、「都市戦略が企業立地に与える影響~アジアにおける経済特区の役割~」に取り組んだ。
 私は、サッセンらのグローバル都市の定義を用い、1995年・2001年の集積度と「グローバル都市の本質は、企業にサービスを提供する企業が集積しているところ」を定量的に分析し、TOKYOの地位の低下を定量的に明示した。しかし、Advanced Producer Sevice Firms (会計、金融、広告、法律のグローバル企業,定義は、サッセンらの書籍をご参照ください。)に魅力的な都市は、実は画一的なものであり、クリエイティブ・クラスには響かないのも同時に感じていた。
 
 そんな問題意識をもった私にとって、突破の糸口となったのが持続可能性(サステイナビリティ)であり、特に環境の側面からの都市論であった。
 先ほど挙げたニューヨークとポートランドは、どちらも環境志向なまちづくりが行われているという報告されている。クリエイティブ・クラスは、環境意識も高いので、環境にも配慮した都市が創られていく、そんな流れはイメージできる。
 そんなわけで、東京G-LINEがクリエイティブ・クラスの暮らしを支えるとともに才能(タレント)を引き出す舞台となれば、あるいはより環境意識の高いコミュニティが培われてくる可能性が高い。当然、エシカル消費が増えるだろうし、仕事でもサステイナブルを意識するという両面でよい効果が期待出来る。
 欧州では、アメリカ・日本と比較して、より環境に力点を置いた持続可能(サステナブル)な都市づくりが進んできたように思う。経緯は、岡部(2006)*6)などで詳しく記述されている。フライブルグは有名になり、日本の自治体などは、環境都市づくりの視察で訪れることが多い。他にも、社会的な要素としての文化にも力点が置かれていた。ビルバオが取り上げられているが印象的だ。最近は、ベルリンがインキュベートに長けた都市だとは耳にはしている。ただ、そうした都市が、クリエイティブ・クラスを引き付けているか、あるいは引き付ける意図を持っているかは、私の知識からは断定できない。
 いずれにせよ、都市は、良質な空間、ダイバーシティ、インタラクション、ある種の無秩序を提供し、クリエイティブな人を集めイノベーションを生み出すことで求心力を保つことに寄与しているとはいえる。
 環境面のサステイナビリティと都市の関係は、長年追い求めてきたテーマなので、別途、記事にしようと思う。本職は、そっちなので。
 というわけで、グローバル都市・TOKYOに着目し、サステイナビリティの視点から大局的に検討してみた。結論から言うとサステイナビリティの視点からも東京G-LINEは、大変意義があると思う。もちろん、もっと突っ込んで考えなくてはならない点も多い。特に、TOKYOの魅力が増し、「地元」の価値がお金と知恵をうみ、「地元」に投資するまでには、課題が多いと思う。
 
発展的な議論の呼び水に
 まずは、概論的に書いてみた。
 都心の地域エネルギー拠点、ロボティクスと連携したロジスティック、小型モビリティといった個別課題、冨の再配分の経済分析、空間デザインにおける地域性の問題、イベント・パフォーマンスのコンテンツを継続的に産む仕組み、ファンディングとプラットフォームの仕組み、地元での事業への発展方法など検討したいことは多い。
 現段階では、単なる思考実験であり、私が扱える項目も少ない。ただ、幸いにもアイディア自体に制約はない。比較的、東京に近いながらも土着的なライフスタイルをしている人間として、TOKYOへの期待を表明しておきたいと思い、筆をとった。
 そんなわけで、この拙文が、他も皆様の思考実験を促す呼び水となることを期待している。「今の制約」を取っ払って活発な意見が発信されると楽しいだろうな、と。それを通じて知恵が紡がれるとよいな、と。
 
*1) 重松健,東京に新しい「楽しい」を - 東京G-LINE
 
*2) 平本和夫,「臨海副都心物語 「お台場」をめぐる政治経済力学」,2000
 蛇足になるが、首都高の地下化で想定している3,200億円よりも一桁大きな投資を行った臨海副都心との対比は意識しておく必要があると思う。
 もちろん、東京G-LINEは都心の真ん中で既存のインフラを有効活用するという点で大きく異なるものだが、根っこのモチベーションは似ている気がする。
 私は、そこに若干の違和感を感じる。なので、それを明示するためにこの文章を書いているわけだ。
*3) ジェイン・ジェイコブスの都市論については、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』に記載されている書籍を参考にしてください。『アメリカ大都市の死と生』 (山形浩生訳、鹿島出版会、2010)が最もポピュラーだが、この論考では、『発展する地域 衰退する地域/地域が自立するための経済学』( 中村達也訳(改訂版)、ちくま学芸文庫、2012)を参考に書いている。映画『ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命』が2018年4月から上映されており、DVD化するようだ。ちなみに、私はまだ見ていない。
*4) サスキア・サッセンの都市論は、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』に記載されている書籍を参考にしてください。 2002年当時は、学術論文を引用してました。最近、単行本で伊豫谷 登士翁 (翻訳), 大井 由紀 (翻訳), 高橋 華生子 (翻訳)『グローバル・シティ―ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む 』筑摩書房 (2018/2/7)がでたため、読み返しているところ。あえて対比的に「管理主義的」と書きましたが、人間実のある洞察も多いので、ちゃんと理解せずに書いていて心苦しい。
*5 )リチャード・フロリダの都市論は、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』に記載されている書籍を参考にしていただきたい。論考中の引用は、井口典夫訳『クリエイティブ資本論――新たな経済階級の台頭』(ダイヤモンド社, 2008年), 井口典夫訳『新クリエイティブ資本論――才能が経済と都市の主役となる』(ダイヤモンド社, 2014年)による。
*6) 岡部 明子、「サステイナブルシティ―EUの地域・環境戦略」,学芸出版社 ,2003-9、岡部 明子, 「持続可能な都市社会の本質--欧州都市環境緑書に探る」, 公共研究 2(4), 116-141, 2006-03